本音と喫茶店と大人の世界
喫茶店では、いろんな本音が聞こえてきてしまう。
周りに知り合いがいない安心感からか、みんな大きな声で話している。
当人は一緒に来ている人間に向かって話しているのだけれど、居酒屋ほどうるさくないため、どうしても周りの人間にもその内容が聞こえてしまう。
私のように休日の大半を喫茶店で過ごす人間は、聞く気がなくても、色んな人の考えを垣間見ることになる。
これはあくまで個人的な感想だけれども、喫茶店で話される内容は、建前の綺麗事ではなく、本音が多いような気がする。
彼氏のセンスが悪さが気に入らなくて別れたいという女性や、バイト先の留学生が話す片言の日本語を馬鹿にする大学生など、正直に言って聞こえてきて気持ちの良いものではない話題を、みんな熱心に話している。
でもみんな、普段はそんな気持ちを隠している。
彼女は別れたいとは言いながらも、そんなセンスの悪い彼氏と花火を観に行くために浴衣を買わなければいけないし、大学生もその留学生の前で、あまり流暢ではない日本語を脚色したモノマネをして、友達を笑わせたりはしないだろう。
昔はそういう話を聞くことがどんなことよりも嫌いで、自分のことでなくても塞ぎ込んだりしていた。
しかし、最近はそこまでは影響を受けることはない。
それは、程度の差こそあれ、誰でもそういうものだと納得する方法が身についたから。
みんな他人が見せない本音を抱えているとわかりながらも、普段はそれを忘れることにしている。
そういう技術を身につけることは、ある意味大人になるための通過儀礼なのかもしれない。
別に本音が綺麗じゃないことが嫌なわけではない。
ただ、そんな気持ちを隠してニコニコしていることが義務になっている大人の世界は、たまらなく生きづらい。