嘘と女性と独立器官
村上春樹の短編小説の中で、「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている」という文章がでてくるのだけれど、これは自分も物心ついた時から確信していた。
「物心ついた時から」なんて書くくらいだから、それは男女関係をそれなりに経験値するようになる前からということだ。
当初は漠然と感じていただけだが、それはいつからか確信と言っても問題ないほど、自分でもの中では当然のこととして認識されることとなる。
こんなことを言うと女性陣から糾弾されること必至なので(普段から不用意な発言で女性を敵に回すことが多い)、このことについて誰かと意見を交換したことはないが、自分の他にも同じ考えを持っている人がいてほっとしている(実は同志はかなりいるのかもしれない)。
当然、男だって嘘をつく。
ただ、こちらの嘘は独立した嘘であることはない、全く種類の違うものなのだ。
私はこの独立器官の有無が、性差の最たるものではないかと思っている(これも実際に口にだしてしまった場合、袋叩きにされるだろう)。
性差としてよく言われるような子供を産む・産まないなどの違いは、みんながその違いがあることが理解・共有できる。
だが、独立器官の有無の男性が訴えたとしても、きっと女性には永遠に理解されない(嘘はあくまで独立器官は吐くのであって、そこに彼女たちの意識は介在していないのだから)。
こと独立器官の存在に気づいてしまってから(それはすなわちかなり幼い時から)、その人の内側に潜む独立器官に怯えて、女性とは常に一定の距離を置いてきた。
それでもそんな努力も虚しく、独立器官のつく嘘に傷つけられた回数は数えられない(そのうちの幾つかは、私の人生に大きく影響している)。
今回読んだ村上春樹の短編を読んだ女性たちは、この記述を見てどう思ったのだろうか?
ぜひ勇気を振り絞って聞いてみたいところだが、女性との一定の距離を置いてきたせいでそんなことを尋ねられる女友達がいないことが問題だ。
コミュニケーション
最近は、みんな簡単にコミュ障なんて言葉を使うようになった。
でも、実際そう自称する人で、本当にコミュニケーションに問題がある人に会ったことがない。
特に深い意味もなく使っているんだろうな。
そんな私は、コミュ障である。
周りがどう思っているかはわからないが、私も相当にコミュニケーション能力に問題がある。
それは先天的な病気のせいもあるし、小さい頃のトラウマによる後天的な面もある。
一つ言えるのは、きっと治る類いのものではないということだけだ。
そんな人間でも、働かないといけないし、働くうえで周りの人間と関わらないわけにはいかない。
1人で完結する仕事なんて実際にはないだろうし、結局周りの人とうまくやっていかなければならない。
本当にコミュ障だった先人たちは、どうやって生きていたんだろう?
なんとか折り合いをつけられるようになったり、コミュニケーション能力がありそうに(実際あるわけではないのに)見せる方法だったりを学んでいくのだろうか。
いつか自分もそんな処世術を身につけられる日がくると信じて、耐え忍ぶのみである。
「誰も知らない」ことが自分を楽にしてくれる
どちらかというというとインドア派で、できることなら一日中家で本を読んで暮らしていたい。
ただ、日々の生活に疲れた時には、無性に旅に出たくなる。
今までその理由がわからなかったけれど、最近になってようやくわかったような気がする。
それは、旅先では、自分のことを「誰も知らない」からだ。
自分のことを知っている範囲を離れて、そこでは誰も私を知らない。
いつも生活している場所とは全く違う空気を吸いながら、日常を忘れて過ごすことが必要だなんて、昔の自分には信じられないだろう。
次はどこで一人になろうか。
人生の最期に、「悔しい」と言わなければいけないということ
先日、昔からお世話になっている恩師のお見舞いに行った。
大きな事故にあって入院とは聞いていたけれど、その事実がどれほどのものなのかうまく実感できていなかった。
病室を訪れ、その姿を見た時に、初めてことの重大さがわかった。
いつもスーツで、髪もしっかり整え、ピンと背筋を伸ばしてキビキビ動いていた人が、髪もぐしゃぐしゃでよれよれのパシャマを着ていた。
そうした身なりの変化だけだったなら、たいして動揺もせず、きちんと挨拶ができたと思う。
ただ、いつも眉間に力が入っていて、厳しそうな顔が全く違う顔になっているのを見た瞬間、どうしようもなく頭が真っ白になって、うまく笑うことができなかった。
いつも怖くて、強いその人が「悔しい」と言って涙をこぼした時、自分も堪えることができなくなってしまった。
その「悔しい」には、事故にあったことの他にも色々なことが絡み合って出た言葉なんだけれど、本当に辛かった。
本当に人生を全力で駆け抜けてきて、周りの人のために自分を犠牲にして生きてきた人がなんでこんな言葉を発しなければいけないんだろう。
このままそんな想いを抱きながら最期を迎えなければならないようには、絶対にしたくない。
本当に父親代わりにお世話になった人のために、できることは何でもしたいし、自分に何ができるのかをこれから真剣に考えていきたい。
人は黄金時代に気がつかない
人生のピークがいつだったのかに答えられる人は、実はとても幸せなのかもと思う。
答えられる人たちには、感傷に浸ることができる思い出があるからだ。
自分は、胸を張ってここが自分の黄金時代だったと言える時期が思いつかない。
それは、今までそんなに素晴らしい時期はなかったと思っているからだが、10年後に考えた時にはすでに過ごした時期の中に黄金時代だったと思うものがあるのかもしれない。
ただ、きっと自分は一生そんな時期が自分にあったなんて思わず生きていく気がする。
感傷に浸ることができる美しい思い出がないのは辛い時もあるけれど、常に今を過去より素晴らしいものにしたいと思いながらもがく生き方もそんなに悪いものではないと思っている。