誰も知らない

特に意味のないことをつらつらと書くブログです。

人生の最期に、「悔しい」と言わなければいけないということ

先日、昔からお世話になっている恩師のお見舞いに行った。

大きな事故にあって入院とは聞いていたけれど、その事実がどれほどのものなのかうまく実感できていなかった。

病室を訪れ、その姿を見た時に、初めてことの重大さがわかった。

いつもスーツで、髪もしっかり整え、ピンと背筋を伸ばしてキビキビ動いていた人が、髪もぐしゃぐしゃでよれよれのパシャマを着ていた。

そうした身なりの変化だけだったなら、たいして動揺もせず、きちんと挨拶ができたと思う。

ただ、いつも眉間に力が入っていて、厳しそうな顔が全く違う顔になっているのを見た瞬間、どうしようもなく頭が真っ白になって、うまく笑うことができなかった。

いつも怖くて、強いその人が「悔しい」と言って涙をこぼした時、自分も堪えることができなくなってしまった。
その「悔しい」には、事故にあったことの他にも色々なことが絡み合って出た言葉なんだけれど、本当に辛かった。

本当に人生を全力で駆け抜けてきて、周りの人のために自分を犠牲にして生きてきた人がなんでこんな言葉を発しなければいけないんだろう。

このままそんな想いを抱きながら最期を迎えなければならないようには、絶対にしたくない。



本当に父親代わりにお世話になった人のために、できることは何でもしたいし、自分に何ができるのかをこれから真剣に考えていきたい。