ひとつの実感
生きていくうえでどういうものが支えになるのかを最近考えている。
きっとお金であったり、周りの人間であったり、そういったものも当然必要だと思うのだけれど、今日ふと「何かをできる」という感覚が自分にとってはかなり大事ではないかと気づいた。
それは何か特別なスキルということではなくて、例えば、走ることができるとか、自転車に乗ることができます、とかみんなが意識せずできているようなこと。
なぜそんなことが支えになるのかぐつぐつ考えていたところ、自分の「人よりハンデを負っている、劣っている」潜在意識のせいな気がしてきた。
先天的な病気による身体的な面でも、そういうわけではなく環境によって形成されたメンタル的な面でも、自分には問題があるという自覚がある。
これを普段いかに隠すかというのが自分の人生の至上命題であり、そのために頑張ってきた気がする。
そういう生活を送っていると、当たり前のことができることで、少し普通の人間に近づいた気持ちになって、安心するのだ。
スガシカオは「僕らは位置について、横一列でスタートを切った」と歌うけど、横一列でスタートできるなんて、そんなに世界は綺麗じゃない。
いつかはこんな考えからも抜け出すと思っていたけど、もう三十歳前になり、きっとこのまま変わらないんだろうとわかってしまったので、こんな自分と付き合っていくしかない。
ひとつひとつ、他の人には些細なものを実感として積み上げていく、それが自分の人生なんだ。