誰も知らない

特に意味のないことをつらつらと書くブログです。

怒りとカレー

生きていれば嫌なこともあるわけだけれど、ここのところどうしても我慢できないようなことが立て続けに起きている。

 

その瞬間も嫌な気持ちになるし、切り替えが下手なので、しばらくの間は

その場面を頭の中で繰り返してしまい、引きずってしまうことになる。

 

精神衛生上よくないので何とかしたいのだが、そういう風に考えるほど

逆に気になってしまう悪循環に陥ってしまうので、どうしようのない。

 

さらにたちが悪いことに、自分はこうしたストレスと食欲がかなり密接に

関係していて、ストレスがある水準を超えると、ちょっと引かれるくらい食べてしまう。

 

しかも、腹が満たされればなんでもよいというわけではなく、こってりした味付けで、

刺激の強いものでないと、ストレス軽減にならないのだ。

 

昔は仕事終わりのラーメンが多かったのだが、それでは満たされなくなってきており、

最近は無性にカレーが食べたくなる。

 

それも、頭皮から汗が噴き出して止まらなくなるような辛いカレーがよい。

 

最近はカレーブームなのか、スーパーに置いてあるレトルトカレー

レパートリーも増えているので、特に辛そうなものを選んで山盛りのご飯にかけて食べている。

 

元々胃腸が弱く、辛い食べ物も全般的に苦手なので、翌日後悔することになるのだが、

それがわかっていてもやめることができない。

 

こんな形でカレーを食べなくても済む生活を送りたいが、はたしてそんな日が

本当に来るのだろうか。

 

 

たらこパスタ

先日、数年ぶりにたらこパスタを食べた。

  

家に食べるものが何もなく、なんでもいいからないのかと台所の

引き出しの奥をひっくり返したらレトルトが出てきたという

選択したというより仕方なくに近いかなり消極的な理由で久しぶりに

食べることになった。

 

正直、何年ぶりに食べるのかどうか思い出すこともできないくらい食べてなく、

自分が好きだったのかどうかも分からなくなっていた。

 

若干ドキドキしながらパスタをゆでて、パウチに入ったペースト状の

ソースを絡ませる。

 

調理とは呼べないくらいあっさりと出来上がってしまったため、

久しぶりの対面に感慨にふける時間もなかった。

 

さっそく一口、口に入れてみる。

 

味は和風以外の何物でしかなく、意外とたらこたらこしていなくて(?)

さっぱりしている。

 

感動というほどではないが、とても美味しかった。

 

こんなにおいしいのなら、もっと定期的に食べておけばよかったな。

 

たらこパスタだけでなく、最近になって美味しさに気づく食べ物が

増えてきた。

30歳が近づき、ようやく舌が大人になってきたのだろうか。

 

その一つがめかぶである。

 

なぜか家族がよく食べていたのだが、当時はねばねばして

見た目もお世辞にも良いとは言えないめかずの良さが全く理解できなかった。

 

健康に良いと聞いて、久しぶりに食べてみると、さっぱりとしていて

悪くなく、最近は冷蔵庫に常備している。

 

 

本当に小さいと思うのだけれど、自分は昔好きではなかったものを

美味しく感じることができるようになった、このくらいのことで

十分人生に楽しみを見いだせちゃうタイプの人間なのだ。

 

 そんな自分にがっかりする気持ちと、ほっとする気持ちがちょうど

半分くらいずつかな。

 

だからどうということもないのだけれど。

夢の国の対象年齢

久しぶりに東京ディズニーランドへ行ってきた。

 

千葉にありながら、そこは東京であり、東京を強調するが現実ではなく

あくまで夢の国というふわふわしたポジションの遊園地。

 

昔から好きでも嫌いでもないが、思い返してみると定期的に訪問している。

 

まったく覚えていなかったが、昨年用事があり実家の写真を整理していたところ、

小学生になるよりずっと小さいときに満面の笑みでミッキーと並んでいる

デビュー写真が見つかったし、高校生の時には男子のみで行ったりしていた。

 

大学生になってからは周りに好きな人間がいたこともあり、年に複数回行く

ようになり、かれこれ10年以上、20回は通っている。

 

マニアの人は遥かに長い期間、より頻繁に通っているのだろうが、

誘われれば行く程度の人間でもこれだけ通っていることが恐ろしい。

 

そしてつい先日訪れた際に、この遊園地の"対象年齢のなさ"に驚いた。

 

その日は平日の金曜日だったのだが、制服を着た女子高生や、小さな子供にコスプレをさせた家族、もうおばさんからおばあさんへ変わるラインの半歩手前の女性の集団や、一人で来ているおじなんもいた。

 

3歳児も17歳も38歳も64歳も、カップルも家族連れもおひとり様も

同じ世界観の中で楽しめる遊園地ってちょっとほかにはないのではないか。

 

そんなにいろいろな遊園地に行ったことがあるわけではないけれど、

USJはお年寄りには厳しい気がするし(心臓に悪そう)、今どきの高校生は

荒川遊園には行かないだろうし。

 

数年前に、一人の少女が親と、友達と、彼氏と、夫と…と成長子供から

おばあさんになってもディズニーランドに行くというCMが流れていた。

 

そのときは、老夫婦がディズニーランドに行くなんてあるのかと鼻で

笑ってディズニー好きの彼女から顰蹙を買ったのだが、このまま

いくとCMの主人公と同じ道を辿ることになりそうである。

 

それはそれで嫌ということもないし、ライフステージが変わっていくと

この場所をどう感じるようになるのかは少し楽しみではあるけれど、

オリエンタルランドの戦略にまんまと引っかかっているところが少し気になっている。

 

 

ひとつの実感

生きていくうえでどういうものが支えになるのかを最近考えている。

 

きっとお金であったり、周りの人間であったり、そういったものも当然必要だと思うのだけれど、今日ふと「何かをできる」という感覚が自分にとってはかなり大事ではないかと気づいた。

 

それは何か特別なスキルということではなくて、例えば、走ることができるとか、自転車に乗ることができます、とかみんなが意識せずできているようなこと。

 

なぜそんなことが支えになるのかぐつぐつ考えていたところ、自分の「人よりハンデを負っている、劣っている」潜在意識のせいな気がしてきた。

 

先天的な病気による身体的な面でも、そういうわけではなく環境によって形成されたメンタル的な面でも、自分には問題があるという自覚がある。

 

これを普段いかに隠すかというのが自分の人生の至上命題であり、そのために頑張ってきた気がする。

 

そういう生活を送っていると、当たり前のことができることで、少し普通の人間に近づいた気持ちになって、安心するのだ。

 

スガシカオは「僕らは位置について、横一列でスタートを切った」と歌うけど、横一列でスタートできるなんて、そんなに世界は綺麗じゃない。

 

いつかはこんな考えからも抜け出すと思っていたけど、もう三十歳前になり、きっとこのまま変わらないんだろうとわかってしまったので、こんな自分と付き合っていくしかない。

 

ひとつひとつ、他の人には些細なものを実感として積み上げていく、それが自分の人生なんだ。

沈む

二十代後半になり、もう三十歳もあっという間にやってくる。

 

正直なところ、未来に対して不安しかないな、と感じている。

 

それの一番の理由は、このどんよりした世の中で、自分の足で自立している自信がないから。

 

確かに働いてはいるが、それだって日々嫌な思いをしながら、なんとかしがみついているだけで、この先は無理なんじゃないかと気づいてしまっている自分がいる。

 

プライベートは順調かというとそうではなく、日々傷つけ、傷つけられて生きていることがとても辛くて、最近は全く体が動かなくなる。

 

今の同年代の人たちは、みんなそこまで辛くはないのだろうか。

 

自分にとって今の世の中は、ただただ苦しくて、常に空気が薄く感じる。

 

今の状態から抜け出すには、自分から何か行動しないといけないのだろうけれど、具体的なアイデアも思いつかない。

 

こんなことを考えて、ずぶずぶと沈んでいってしまうのは、日曜日だからなのだろうか。

 

そうだといいなと思う。

喫茶店にて

この前、仕事をするために喫茶店に入ったところ、隣の席の男女二人がふと目についた。

 

若くパリッとしたスーツを着た二十代前半と思われる女性と、チャラついた格好で、長めの髪をツンツンに立てた三十代前半の男性という、少し違和感を覚える組み合わせ。

 

ぼんやり耳をそばだてていたところ、女性が男性に対して、自分の会社に入るよう、リクルート活動をしているようだということがわかった。

 

ただのリクルート活動であれば、男性の格好が気になるものの、特に問題ない。

 

ところが漏れ伝わってくる話がどうもおかしい。

 

女性は、自社の社長が素晴らしい人格者であること、人間として成長できる職場であることを熱心に語っている。

 

しかし、肝心の仕事内容には一切触れない。

痺れを切らした男性が仕事内容について質問したところ、なんと女性は「仕事内容は言えない」と言い切った。

 

仕事内容を伝えずに、入社させることなんて可能なのだろうか…

 

自分と、同じく聞き耳を立てている向かいの席の女性も同じ感想を抱いたはずだ。

 

だが、肝心の男性は特に気にするようにもなく、「そこをなんとか!」なんて調子の良い合いの手を入れている。

 

それでも女性はモゴモゴ意味不明の発言を繰り返したのち、聞かれてもいないにもかかわらず、「法に触れるようなことはやっていない」と言い出した。

 

それを自分から言い出すのは、悪手ですよ…と思ったが、男性は全く気にしてない様子。

 

さらに男性が食い下がった結果、ネットワークビジネスなるものが本業らしいことがわかった。

 

そのワードを聞いてきな臭いなと思ってしまったのは、自分が古い人間だからなのだろうか、男性は「そうなんですね!」と目をキラキラさせて聞いており、特に身構えた様子はない。

 

しかし、ここで流れが変わる。

 

なぜか、男性が自分語りをはじめたのだ。

 

要約すると、「今は働いていないが、ビッグになりたい。しかし、何をやればいいのかはわからない」ということだった。

 

「それならうちの会社で人脈をつくり、ビッグになりましょう!」なんて言うものだから、完全に入社する流れになってしまった。

 

それでいいのかと思ったが、そんな厚かましいこと言うこともできないし、そんな権利もない。

 

ここでお店を出てしまったが、その後どうなったのかとても気になっている。

 

今までは、どうしてマルチ商法やら何やら、怪しいビジネスがあるのか不思議で仕方なかったが、少し理由がわかった気がした。

 

世の中には、何者かになりたくて、でもなれない現状を打破するために手を出してしまう人が結構いるのかもしれない。

 

正直、気持ちはわかるから、少し何かが違えば、自分が勧誘される男性だったかもしれないし、そう思うと、なんとも言えない気持ちになった。

大人の食べ方

やりたいと思いつつ、全く実践できていないことが両手の指の数では全然足りないほとある。

その中で、わりと困る部類に入るのが、夜ごはんを腹八分目で済ませることだ。

社会人になり、恐ろしい角度で上昇していく体重のせいで、日常生活に支障が出ているため、痩せなければいけないと切に思っている。

ジムに行ったりもしているのだが、やはり摂取カロリーを減らさないことには、角度をゼロ以下にすることはできないらしい。

そこで、食事を腹八分目にしようと誓うのだけれど、いざとコンビニに行くと、とても腹八分目で済むとは思えない量の食材を買い込んでしまう。

その時点で誘惑に負けているのだが、今日全部食べるのではなく、残しておいて明日の分に回せば大丈夫…などと自分を言い聞かせて購入してしまう。

しかし、当然そんな器用なことをできるはずもなく、少し苦しい思いをしながら全部食べてしまうのだ。

そんな失敗を繰り返しているうちに、学生時代から20キロも増えてしまい、もうそろそろ挽回が難しい段階まできてしまっている。

もう学生時代のように、どれだけ食べても太らないような生活を送っているわけではないのだから、そろそろ大人の食べ方を覚えなければと思いつつも、きっと今日もお弁当に加えて揚げ物やら何やらカゴの中に入れてしまうのだろう。

この調子でいくと、3年もするとちょっと小柄なお相撲さんくらいのサイズになるかもしれない。

そこまで太れるならば、それはそれで面白そうだけど。